子どもに英語を学ばせたほうが良いでしょうか?

「子供が小学生になったら、英語を学ばせたほうがいいですか?」

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この質問をよく聞かれる。
私の答えは

「本人(子供さん)が英語をやりたいというのなら、やらせてあげてください。そうでなければ英語はやらなくていいです。やりたいと言ってはじめたけれど、やりたくなくなったらやめさせてあげてください。無理強いしてもろくなことはありません。できれば小学生のうちは、日本語の力を伸ばしてあげてください。」

だ。

もともと私は公立高校で英語を10年教えたが、私にはこの仕事は向かないと思って退職した。英語を教えることが向かない、というのではなく、その他もろもろのルールが合わないと思ったからだ。退職後、自分で塾を開き、小学生に英語を教えることにした。小学生から英語を始めれば、中学、高校に入ってから、生徒が英語を理解しやすくなるだろうし、先生の負担も少なくなるんじゃないか、という何の根拠もない思い込みにしたがって、小学生に英語を教えてみた。結果、それほどの意味を見いだせなかった。小学生が例えば6年間かけて身に付けた英語は、中学1年生の間にすべて学ぶことができる、と実感したからだ。ならば、週1回、結構なお金をかけて何年も小学生のうちに英語を学ぶ意味はあるのか、というのが私の意見だ。

さらに、中学校、高校で英語の成績が良い人が100%小学生の時から学校のカリキュラム以外で英語を学んでいる、というデータがあるわけでもなく、実際、普通に公立小学校のカリキュラムを終え、中学校に上がって、中学英語を学び始めた人でも、英語の成績が良い人もいるし、スピーチコンテストで入賞するような人もいる。

 小学生のうちから英語を学ぶ意味があるとすれば、私の個人的な意見だが、それは英語の音を聞き取ることが、中学生で始めるよりも楽にできるようになる、くらいではないだろうか。「楽しい英語」を提供できる時期でもあるが、子供によっては「うまくできない自分にイライラする時間」になることもある。子供英語教室で提供される学ぶときの「楽しさ」は万人に共通するものではない。あと役に立つとすれば、小学生のうちに英検3級を取って受験に役立てることはできるだろう。

英検3級はちゃんと勉強をしなければならないが、聞き取り能力をのばすのなら、ディズニー映画を英語で見せるとか、その他アニメ、映画を英語で見せればいい。英語の子供用の音楽CDをかけて一緒に歌えばいいし、英語のCD付き絵本を楽しめばいい。自宅で、親子でできることが山のようにある。その時間と労力が惜しい人は塾へ。でも、塾に行かせても、自宅学習用の課題が出る。そして、課題は大人のサポートがあったほうがよりスムーズに進む。というより、子供が課題に自主的に取り組むことを大人が期待しても、その習慣がない場合は自主的にやるわけがないので、大人がサポートしなければ、子供は課題をやらない。週1回1時間の授業だけで英語は身に付かない。話はそれましたが。

英語教育の低年齢化について「英語を子どもに教えるな」という本の中で著者の市川力氏は次のように述べている。

私は国際語としての英語の価値がますます高まっていくことは間違いないと思っているし、諸外国とのコミュニケーションの道具として、「英語 は必要である」と考えている。
それなのになぜ、「子供に英語を教える必要があるのか?」と改めて問いを発したいのか。それは「英語は必要だから子供の時から教えたほうがいい」と考える発想の背後に、英語を苦手とする大人、そして英語を習得するのに苦労した大人の抱く「甘い幻想」が隠れているからだ。・・・わが子に英語を習わせたいと考える親のほとんどが、自分が英語嫌いになったり、英語力を身に付けられなかったりした原因は、自分の受けた学校英語教育にあったと考え、さらに、乳幼児期から英語を教わらなかったために、自然に英語力を獲得する機会を逸したと悔やんでいるのではないだろうか。その上、昨今では、TOEFLやTOEICのスコア次第で昇進や賃金を決める制度を導入する企業が目立ってきた。慌てて英語学習に励み、苦闘しているビジネスマンは、わが子にはこんな苦労をさせたく愛と思い、幼児期から英語を学ばせようという風潮に拍車がかかったといえよう。(はじめに、から抜粋)

子どものころから学んだ英語が本当に中学、高校、もしくは大学で役に立つのか、ということになると、正直「どうだろう?」と思っている。簡単な英会話で使う表現、例えば「That’s great」が将来的に英語を使ったコミュニケーションの中で、どれほど重要な役割を果たすのか、と考えたら、「?」でしかない。確かに、相手に何か言われたときに、何も返事をしないよりも、中途半端な笑顔で返すよりも、英語で何か言えたほうがカッコイイのだが、大事なことを伝える能力が備わっていなければ、意味がないのではないか。それに、こういう会話表現は、すぐ覚えられる。

今、私は大学に入学したいという生徒さんを中心に教えている。大学入試に出てくる英語は、日常会話のレベルを超えている。長文もあれば、「そんな問題、出すんですか?」みたいなものもある。きちんとした文法の知識と、単語、熟語などに関する記憶力、そして、英語を日本語に置き換えて理解する力が必要になる。

ここで、英語を日本語に置き換える、ということについて補足したい。英語を英語で理解する、ということを勧める人もいるが、私の経験では、それはかなりの高等技術だ。「Hello, how are you?」を英語のままで理解することと、受験問題に出てくる英語を、英語のまま理解することは、まったく異なるレベルの出来事だ。したがって、普通に英語を日本の学校で学んできた高校生には、受験問題に出てくる英語を日本語に置き換える作業が必須であると私は考えている。私自身の経験では、英語を読んで、それを日本語で正しく説明できないのであれば、その人は間違いなく、英文を正しく理解していない。(英語を日本語に言い換えることに慣れてきたら、自然とこの作業を省略することができるようになる。)そして、日本語に置き換えた英文の内容を、どれだけきちんと理解できるか、が重要になる。英語から日本語に変換する能力、日本語での理解力、思考力、日本語から英語へ変換する能力。結局、英語の力を伸ばすのに、日本語力が必要となる。

これが、「できれば、小学生のうちは、日本語の力を伸ばしてあげてください」と伝える理由だ。

「英語を子どもに教えるな」の中で、市川氏は次のように述べている。

日常会話レベルを超えて英語を使いこなすようになるためには、ある時期に一定期間英語漬けになって相当の訓練をしなければならない。と同時に、言語の違いに関係なく、論理的に物事をとらえる力、相手にわかるようにきちんと説明する能力、そして説明に値する内容のすべてを備えていなければ、高度な語学力は身に付かない。英語を使って読み、書き、聞き、話せるようになるためには、単に子どもの時から始めればすむわけではなく、英語自体の訓練以上に、思考力を高めることと伝えたい内容を持つことが大切であることを、私はアメリカで英語を身に付けた日本人駐在員の子供たちに教えられた。

「小さいときから英語を学べば、英語が使えるようになる」という考えで、子供に英語を学ばせることは必要ない。子どもたちが、自ら英語に興味を持ち、英語を学びたいというのであれば、幼稚園からでも、英語を学ぶことはいいことだと思う。英語に限らず、何かに興味を持ち、体験することは、成長する過程でとても大切なことだ。子供に英語を教えることは悪いことではない。ただ、「英語」だけでは本当に「英語が使えるようにはならない」のだ。ぜひ、時間があれば、「英語を子どもに教えるな」を読んでもらいたい。どうしたらいいのか、ということをわかりやすく書いてくれている。母語の発達の重要性もわかるだろう。

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私は日本人であり、海外に出るたびに、自分がどれほど「日本人」であり、また「高知」の人間であるかを確認する。日本人にしかない感覚や思想、価値観といったもののために、海外で戸惑い、苦しんだこともある。反対に、そのおかげで分かり合えたり、尊重しあえたりすることもある。言葉は文化である、と高校生の時に聞いたことがある。そうかもしれない。私自身は、「言葉はその人、そのものである」と考えている。

こんな言葉を聞いたことはないだろうか。

信念が変われば、思考も変わる
思考が変われば、言葉も変わる
言葉が変われば、行動も変わる
行動が変われば、習慣も変わる
習慣が変われば、人格も変わる
人格が変われば、運命も変わる

ガンジーの言葉だそうだが、ほかにも似たようなものを何度も聞いたことがある。
信念が思考となり、思考が言葉となり、言葉が行動となり、行動が習慣となり、それが人格となり運命となる。信念を表すものが言葉であり、言葉が運命にも影響する。「英語を学習するうえでの日本語の重要性」ということからは、思いっきりずれるが、自分が母語として使う日本語を、意味を理解して使うことがどれほど重要か、わかるだろう。自分が日々使う日本語に、もう少し敏感であってほしい。